2008年07月08日
臼杵祇園 古都・臼杵の由緒正しき夏祭り

長浜祭りも終わって一段落…なんて思っている県民の皆さんはいませんか?
とんでもない!
大分の夏祭りは始まったばかり。
そしていよいよ、大分の三大祇園が幕を開けようとしています。
その先陣を切って、約一週間という長丁場で開催される
臼杵祇園
今日はこの臼杵祇園を取り上げてみます。
歴史ある城下町・臼杵市が燃え上がる一週間。市民が愛して止まない夏の一大行事とは?

※ 一部画像提供 臼杵市観光協会様
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臼杵祇園は、もちろん臼杵市最大の夏祭りです。寛永19年(1642)、稲葉三代藩主信通公が海添五味浦の馬場に行宮を建て、四代良通公が神輿一基と鳥毛槍五十本を寄進したことが始まりだと伝えられています。この時の鳥毛槍五十本というのは、関が原の合戦の際、当時美濃国郡上八幡の領主であった稲葉家の戦利品、つまり当家の武勲の象徴とも言うべきものなんだそうです。
由緒正しき臼杵市の歴史が垣間見れる逸話ですが、この槍は行列でも見ることが出来ますので、注目してください。若い衆が独特の動きで、一人ずつ行進。ゆっくりなのですがどことなく力強さの感じる動きに見えます。槍を片手に、刀を懐に差した臼杵の男性たちが、力強くしっかりと一歩ずつ歩いて行く姿は、まさに勇壮で、見ていても力強さが伝わってきます。
このゆっくりした動きと、独特の歩き方は、見るからに大変そうなのですが、祭の場でも全国的に珍しくなった、江戸時代以前の歩き方とされるナンバ歩き(上体をひねらず、足と同じ側の腕を出す歩き方)を今でも再現しているのです。こうやって臼杵祇園は始まります。
祇園祭が定例祭典となったのは、承応元年(1652)からで、その後六代藩主知通公の頃から、その規模を広げ、山車行列などの催し物が始まったそうです。この山車は『踊山車』(おどりやま)とも言われ、当時は御旅所前に停めた山車の上で芝居の奉納も行われていたそうです。
現代の臼杵祇園は、非常に面白い習慣があります。八町ある地域のうち、毎年順番に二町が当番となり、囃子を担当します。つまり四年に一度、自分達の順番が回ってくるということですね。
今年の担当は、浜町と新町。どんな盛り上がりを見せてくれるのか?本当に楽しみですね♪
祇園の最大の見せ場である、その行列には他にも多くの種類があり、それぞれに大事な意味があります。白十本・赤十本の吹流しは『御吹抜』。
合戦の際の軍旗の代わりと言われ、江戸時代には臼杵藩の本物の武士が担当していたそうです。
女性が担当する『『巫女』は世界平和を祈る意味を込めて舞を見せてくれます。
また臼杵祇園に登場する神輿には独特の掛け声が存在します。渡御「ミョウサヤ、チョウサヤ」
還御「ミョウネンナ、チョウネンナ・アーナ、ナゴリオーシヤナ」
漢字に直すとそれぞれ
渡御「明清、長清」
還御「明年な、長年な・あーな名残惜しいやな」
となるのではないか、と言われています。
では注目のその掛け声を、昨年の臼杵祇園の映像でご確認ください。
注目のスケジュールですが…
○7/11(金) 20:20~21:00 曳き出し
○7/13(日)12:25~15:00 渡御(おわたり)
○7/19(土)14:30~17:00 還御(おかえり)
○7/19(土)20:20~21:00 曳き込み
臼杵市出身で県外に出ている人も、臼杵祇園に合わせて帰省するという人も少なくないそうで、市民は心からこのお祭りを誇りに思っています。大阪岸和田のダンジリよりも2周りも大きいという迫力の山車。由緒正しく歴史的な意味を持つ行列。
独特の文化を表す、城下町・臼杵市の一大イベントを見逃す事なかれ!!
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