2008年02月26日

多聞天伝説と未完成の一体 菅尾石仏

大分満喫探検隊

太古の時代から、私たちの住む大分県には石の文化が深く根付いています。
国東に見られる、六郷満山の数々の石仏・石像群もその代表の一つ。
神仏習合で有名な宇佐から国東にかけて、その例は顕著に見ることが出来ます。
では県南・豊肥地区ではどうなのでしょうか?

今日は豊後大野市三重町の入り口で、1,000年もの間、信仰され続ける立派な磨崖仏を紹介します。

『菅尾石仏』

つい最近掘られたもの?と勘違いしてしまうほどの保存状態。
製作途中のまま、現在に至ることで語られる伝説。
意外な穴場観光地を知って、また一つ大分を好きになりましょう♪








観光地・大分を全国にPR
↓↓↓↓




菅尾石仏は菅尾小学校の裏側の山の向こうにあたります。
車で行くなら、所々に看板が出ていますので、注意しながら行けば、迷うことはないでしょう。
一番分かりやすいアクセス方法は、大分市方面ならJR菅尾駅の手前を入るコースでしょうか?

駐車場はかなり広めで、ゆっくり停めることが出来ますし、平日ならそんなに人も多くないので、楽に行けます。


そこから山道を2~3分ほど歩くと、目の前にドッシリと腰を下ろした鳥居を発見できます。
この石段にたどり着く前に、下の写真の様な大きな石を発見しました。
しめ縄を締めた大きな石は、微妙なバランスで今にも落ちそうな程。これは『水霊石』(みずたまいし)と呼ばれる石で、この石が落ちると洪水に見舞われるという言い伝えがあるそうなのです。
さて、ここから百段余りの階段を上った先に、石仏があるのですが、こういう施設の場合の石段はもうお約束ですよね。
ご利益がありそうですから、元気な方ならやはり石段に挑戦しましょう。お年寄りの方などのために、一応回り道も用意されてます。



菅尾石仏は、阿弥陀如来を中心に五体の仏像が岩に刻まれた磨崖仏です。
平安時代後期の磨崖仏と言われ、国の重要文化財(1964年5月26日指定)及び史跡(1924年1月22日指定)に指定されています。
左から千手観音、薬師如来、阿弥陀如来、十一面観音、多聞天の順に並んでいます。


高さは180cmから190cmで、丸彫りの仏像です。仏身に着色された色彩が古さを引き立て、台座の上に座した表情は、端正で慈悲深く、思わず合掌してしまうほどです。
紀伊国熊野権現をここにお迎えしたと伝えられ、昔から土地の人々は『岩権現』と親しみを込めて呼んでいました。
特に全体的に塗られた朱色が保存状態の良さを示しています。


「どう見ても、四体しか見えないんだけど…」と、突っ込みたくなるあなた!
左の写真を良く見てください。
向かって右側の写真ですが、よく目を凝らすと、体半分の多聞天が見えます。作りかけだとも言われるこの像こそ五体目の像で、これが伝説を呼びました。




【菅尾石仏 未完成の多聞天伝説】


その昔、菅尾の村に鬼がやって来て、盗みや子供をさらったりと悪行の限りを尽くし、村人たちは困っていました。
そこへ、村長の家に身なりの汚い旅僧がやって来て、村人の暗い顔を見、村長に何があったか聞き、村長は涙ながらに鬼の悪行を相談しました。
旅僧は「これも何かの縁でしょう」と、鬼を説得しに行くことにしました。

旅僧は無事に鬼に会うことが出来、「一夜のうちに仏像五体を岩に刻みつけられなければ、法力で祈り殺すぞ」と脅しました。
すると鬼は、「もしその難問が出来たら村長の娘をよこせ」逆に旅僧を脅して来たのです。
旅僧は、そんな事できるわけが無いと思いましたが、村長は心配なので、鬼が仕事にかかるまで旅僧に滞在してもらいました。

その晩、ノミの音が聞こえ、村長は鬼の様子を見に行きましたが、鬼は異常な速さで仏像を彫っていました。
あと1体で完成となった時、村長は慌てて旅僧を呼びました。旅僧が来た時は最後の1体が途中まで出来上がっていました。
旅僧は持っていた笠をバタバタと鳴らしコケコッコーと鳴きました。
その声で鬼は夜明けが近いと勘違いし、法力で殺されては大変だ!と慌てて逃げていったのです。
菅尾石仏の多聞天が未完成なのは、これが原因なのです。



現地の人に愛され続ける岩権現こと、菅尾石仏の五体の磨崖仏。
こういう場所は気持ちが良い時にドライブがてら、ふらっと立ち寄ってもらいたいスポットですね。
磨崖仏と言えば、国東など北方面が有名なのですが、豊後大野市にも意外なほどたくさんあるんですよね!!



菅尾石仏




この記事へのトラックバックURL
http://active.junglekouen.com/t51798